「『伍長』と言いますと?」と町会長。

「ウィキペディアの『伍長』に、『伍長(ごちょう)は軍隊の階級の一つで、最下級の下士官である』という説明があります。」

「最下級の下士官でも、部下が持てるようになったのですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。」

「お父さんが司令官に馬賊の掃討を進言するまでは、日本軍が馬賊に襲われたとき、迎え撃つという受け身な戦いをすることが多かったということすか」と町会長。

「父が馬賊の動向を調査する役目を与えられたということは、そういうことだと思います。」

「ということは、関東軍には、中国人の密偵を使って馬賊の動向を調査できるような人がいなかったということですか」と町会長。

「馬賊の動向を調査する部署があったとは思いますが、十分に機能していなかったのだと思います。」

「それでは、なぜ、お父さんの調査は的確だったのですか」と町会長。

「ウィキペディアの『満州』に、『17世紀に女真族から名称変更した満州族が後金を起こして同地を統一支配した後、国号を改めた清朝が明に代わり、満洲地域及び中国内地全体が満洲民族の支配下に入る。清朝は建国の故地で後金時代の皇居(瀋陽故宮)がある満洲地域を特別扱いし、奉天府を置いて治めた』という記述があります。」

「清の時代には、満州族が中国を支配していたのですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。」

「そして、満州は清朝の直轄地だったということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。当時、日本は満州国を建国し、傀儡政権と言われる清朝を使って支配していたので、心ある清朝の武人は馬賊を組織して日本軍と戦おうとしていたのだと推定しています。」

「ウィキペディアの『馬賊』に、『馬賊というと「盗賊団」というイメージが強いが、元々は自衛組織(土匪・匪賊)の中の遊撃隊のような役割であった。当時の満洲では清朝の衰退によって治安が悪化しており、盗賊がはびこっていたためである』という記述があるということでしたが、日本軍を襲撃するような馬賊は、盗賊団ではなく、清朝の武人が頭目として率いる馬賊だったということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。ウィキペディアの『馬賊』に、『清朝の武人が頭目として率いる馬賊』という記述はありませんが、父の調査が的確だったのは、中国の武人が率いる馬賊が日本軍を襲っていたためだと推定しています。」

「なるほど。ところで、馬賊の動向を調査する役目に部下が必要だとしても、なぜ、一騎当千の部下でなければならなかったのですか」と町会長。

「捕虜になっている中国人の武人と立ち会う場合には、武人の部下が手を出すことはできませんが、日本軍がいないところで遭遇した馬賊の頭目に立ち合いを求めた場合、何が起こるか分かりません。」

「なるほど。馬賊の頭目が立ち合いを承諾しないで、部下に襲わせた場合、その場を切り抜けることができるような一騎当千の部下が必要だと司令官が思ったということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。」

2021/6/9

<イエスズメ外伝1>
4月の終わり頃、ビートラップを梅の木に設置しようとした。梅の木に実が成り始めると、どこからかスズメバチが大挙してやってくる。スズメバチは梅の実が大好物なのだ。昼間だと危険な状態なので、去年は夕方暗くなってスズメバチがいなくなってから、ビートラップを設置した。

ところが、今年はスズメバチが1匹もいない。スズメバチだけではない、ミツバチやアシナガバチやアブなどもいない。去年は梅の木に昆虫が群がっていたが、今年は一匹もいないのだ。一体、何が起こったのだと思った。<続く>

2024/5/27